薩摩川内市 みかん農家 村上猛さん
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農業ができる場所を探して、いろんなところを巡り歩きました。離島や外国までも行きましたが、生産だけでなく、販売や物流を考えたとき、そうした場所では難しいと感じたんです。そんな中、ご縁があって鹿児島に。最初から農業者として、生きていくと決めたのは、野菜やお米がデザインの頂点だと思ったからです。
大学を出てデザイン会社に入り、独立して5年間、とにかくがむしゃらに仕事をしてきました。あるときふと、立ち止まるときがあって…。展示会の仕事が多く、予算とエネルギーをかけて作りこんでも、終わると撤収の繰り返し。ものすごいゴミになるんです。俺はゴミを作っていたのか、と思うようになってしまって。環境を守ることに貢献したいという気持ちがあったのですが、デザインをやりながらエコロジー活動、環境保護活動というのは、効率的にも厳しいだろうなと思いつめているときに、福岡正信の「自然農法 わら一本の革命」に出合ってしまいました。衝撃を受けて、これはもう、都会でこんなことをやっている場合ではない!食べ物を作らなくてはいけない!と思ったわけです。
結婚したばかりだったので反対されるかなと思ったけど、「農業がしたいんだけど」と家内に話すと、「いいやん」と賛同してくれました。これまでのことをゼロにするということですが、そこへの抵抗感もないし、お互いにあまり考えてなかったと思いますね。家内の岡山の実家に居候しながら、農業演習をあちこちで受けたり、二人で一緒に屋久島やベトナムへ移住先を探す旅に出たりもしました。移住への不安はありませんでしたが、「農業だけで食べる」と、まわりに宣言して関西を離れたので、絶対に戻れない!ともう背水の陣でしたよね。とにかく生きていく場所を探すことに必死な時期でした。
最初に住んだのは頴娃。20年前は有機農業に対する風当たりがまだ強くて、行政の農業委員会や役場に行って、有機農業がしたいというと、うちは結構です、来なくていいですとか、あちこち回っても、断られることが多くて。ところが、鹿児島には、「いいですよ、応援しますよ」という人がいたのです。それに家内は、どこへ行っても、「ここはイヤ、あそこはイヤ」と注文がきびしかったのですが、頴娃へ来たときは、「ここは温かいし、風景もきれい。住むのにいいな」と喜んだので、ここに決めたのです。
お祭りや、いろんな集まりに積極的に参加することだと思います。人と交わることが苦手ながら、かなり無理して、頑張りました。頴娃で入っていた消防団はおもしろかったですねー。30過ぎで若いくせに、以前は偉そうに社長とかしてましたから、本気で怒られたのが逆に新鮮で!若者に立ち返って、ゼロからいろんな技術を叩き込まれるのが心地よかったものです。それに怒るけど、みんな優しいんですよね。分団長が頴娃の自分たちのお父さん、お母さんになりました。
誰もよそ者には畑を貸してくれませんから、信頼されるまでが大変でした。そこにも消防団が力になってくれました。頴娃では7年間農業をしましたが、残念なことに、喘息を発症してしまいました。有機肥料を散布している時の粉塵がアレルゲンになったのです。経営は上向いていて、機械化するなど、順調なときでしたが、症状がひどくなり、とうとうドクターストップ。ちょうど、やりたいと思っていた農業と、かけ離れてしまっていることに気がついて悩んでいるときでした。環境を守るエコロジーライフみたいな暮らしではなく、ただ、がむしゃらに働いて、現金化するためにどうすればいいかと、お米や野菜がお金に見えるようになってしまっていたんです。これはまずいなというころに病気になったので、なにかのサインかなとも思いました。
農業をやめて仕事を探すときに、相談した友人が蒲生の人だったので、頴娃から蒲生へ引っ越すことにしました。同じ鹿児島でも、印象は場所で違うものですね。
蒲生には、描きたくなる風景が多いのです。大楠を中心に、柔らかなオブラートみたいなもので守られている感じ。見える風景が穏やかで、緑がいっぱいで、
風が気持ちいい。明文化が難しいのですが、何もないかもしれないけど、すべてがある感じ。とにかく都会に戻る気はおこりませんね。
蒲生にある築150年を超える武家屋敷で、家内と一緒に古民家カフェを営んでいます。最初は、借家として住んでいるだけでしたが、古い建具や縁側や庭の佇まいなどを自分たちだけのものにするにはもったいなくて、多くの人に見てほしい、共有したいと思うようになりました。「オーガニックカフェをやりたい」という家内の夢もあり、思い切ってはじめました。デザインの仕事も再開。デザインを通して蒲生のまちづくりにも関わるようになりました。OSHIKAKEデザインかごしま(ODK)というデザインボランティア集団も立ち上げて、呼ばれてもいないところへ「押しかけ」て、デザインで誰かやどこかを応援する。そんな実験をもう5回実施しました。デザインによる社会貢献実験も楽しいものです。画家としての活動や、県立高等学校美術科の非常勤講師もしていますが、一番熱を入れているのが、有機農業の推進の普及活動です。これからの目標は、特に大きなビジョンはもうありません。3度めの人生ですからね。今までのことを土台に、やりたいこと、やるべきことをさせてもらっているので、気持ち的なストレスがないですし、焦りもありません。
いろいろあるけど、常々、大都市に人口が集中するのは避けたほうがいいと思っています。限界集落が増えている中で、能力がある人が、地方に住むというのは、推奨されるべきこと。都会には人が多すぎますからね。
地方に来る方がもっと力を発揮できるはずです。わかりやすく言えば、目立ちますから。埋没せず、個性を発揮できるし、そんなに競争しなくてもいい。そこが一番のおすすめポイントです。
それから、情報収集も大切ですが、さまざまな条件を満たしていても、行かないとわからないこともあります。現地に行くことで、肌で感じる事があるはず。できるならお試し移住を。最低でも1週間位はそこで過ごして、ここに住みたいのか、人の感じはどうかなどの、感覚を大事にした方がいいですね。また、ご夫婦なら、どちらかが我慢すると続きません。家族で行ってみて、ちょっとでも暮らしてみることをおすすめします。
浜地克徳さん(画家・デザイナー)
1965年大阪市生まれ。京都市立芸術大学卒業後、デザイン業界へ。「ものづくりで世の中に本当に必要なものは食べ物、野菜だ」と一念発起し、有機農業を志して全国各地を転々。1998年鹿児島にIターンし、南九州市での営農生活を経て、現在は日本一の大楠がある姶良市蒲生町で古民家カフェも営む。zenzaidesign代表、かごしまスケッチ会主催、鹿児島県有機農業協会 理事・広報担当、県立松陽高等学校美術科 非常勤講師、蒲生茶廊zenzai代表