天城町 移住コンシェルジュ 小林美晴さん
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もともと熱帯魚が好きで、特にカクレクマノミとかサンゴ礁にすんでいる生き物が好きでした。出身は京都ですが東京で就職し暮らしている間も趣味で熱帯魚の飼育をしながら、いつかは綺麗な海があるところに住みたいと思っていて、2014年に東京の職場を退職したタイミングで「いつか住みたい」が「住もう!」に変わりました。ちょうど東京で開催されてた移住イベントに参加したところ、そこで「地域おこし協力隊」という制度を知り、インターネットで募集をしていた「喜界島」を知りました。1月に知り、3月に面接、4月には引っ越すというまさにスピード移住ですね。
ただ、移住先をはじめから喜界島に決めていたわけではなかったのですが、面接を受けるために奄美からフェリーで訪れ喜界島に初めて降り立った時、他の場所には無い不思議な安心感というか、ほっとする感覚があったんです。島を離れた後もその感覚が忘れられず、思い返すとそれが喜界島に移住を決めたきっかけだったと思います。その時実は、体調を崩して滞在中はほぼホテルで寝込んでいたのですが、「それはきっと島に試されていたんだね」と人からよく言われます(笑)。
そして、2015年5月から喜界島の地域おこし協力隊第1号として着任しました。
不安は特になかったです。強いて言えば、都会と違って住む家をじっくり見て決めることができず、大きい一軒家と小さい一軒家どちらがいい?という二択。自分ではあまり気にする性格ではないと思っていましたが、その点だけは少し不安でした。一方で貸してもらえるだけでもありがたいことでもあったので、不安と同時にワクワクしたのを覚えています。
都会と全然違います。いい意味でとにかくおもてなし精神が強く、引っ越してきただけなのに「ありがたい」という言葉をかけられて驚きました。(地域おこし協力隊という)肩書は関係なく、知りたいと言えばとにかく教えてくれる。よそ者扱いされたことは一度もなかったです。
離島では仕事も暮らしも島の人たち同士がいろいろな場所で支え合っている中で、その一員としてどこに行ってもウェルカムだったことは、想像を超えていたというか、ただただ驚きました。
喜界島に来てからやりたいことがたくさん出てきましたが、未だにそれは尽きないです。島の中にいて視野も広がり、「自分に何ができるんだろう」が「島にとって何ができるんだろう」に変わってきたと思います。私にとって喜界島の暮らしは時間が足りない。けど楽しいので時間に追われているとは思っていないです。
「郷に入れば郷に従え」ではなく、「郷に入れば郷に寄り添おう」だと思います。
自分の意志は持ちながら、地域や集落などのやり方やしきたり、歴史に対して反発するのではなく寄り添う。お互いがお互いを理解して、奄美群島で言われる「結の精神」を自然にだしていけるとより良いのではないかと思っています。
あとは、「遠慮しすぎない」。無理をせず、同時に「遠慮をしないこと」を覚えるということでしょうか。自分がやってもらって嬉しいと思うことは素直に受け取り、無理だと思うことは無理と正直に言った方が後々の関係にも良いと思います。
荒木集落のウリバマからの海の景色と、あとは住んでいる花良治(けらじ)集落の近くの海の景色もとても落ち着きます。また釣りスポットもたくさんあって、釣り好きにはたまらないと思いますし、私自身釣りが大好きになりました。
地域おこし協力隊として着任して最初に役場の方から言われたのは「地域や集落からのお願いを優先して欲しい」ということ。協力隊として、地域に飛び込んでたくさんのことを体験させてもらいました。その後、喜界島サンゴ礁研究所に所属した後、今は観光物産協会の事務局長として取り組んでいます。その仕事以外にも、地域のイベントの実行委員や、特産の花良治みかん振興会、そして集落の消防団もやっています。個人としてもSUPやシュノーケルのインストラクター、エコツアーガイド業もやっています。すべて移住前には想像もしていなかったことです。
自分自身の気持ちに素直に。シンプルに自分のやりたいこととか、楽しいことを考えるのが良いと思います。
離島暮らしは特殊なところがあると思いますが、それを補ってあまりある人のあたたかさや自然の豊かさがあると思います。まだまだ知られていない自然を発見できるのも楽しいと思います。
移住を応援する喜界町のサポート制度は・・・
移住定住~鹿児島県喜界町