山梨からいちき串木野市にIターン(小林史和さん)
- #Iターン
- #地域おこし協力隊
住所 | 瀬戸内町 |
移住した年月 | 2003年9月12日 |
移住前の住所 | 大阪 |
家族構成 | 夫婦 |
ブログ・HP | 島暮らし2 |
10年前のGWに友達と初めて島(奄美大島)へ行った。友達が「寅さん」のファンだったため、加計呂麻島の諸鈍へ足をのばした。徳浜の塩工場に行きたくて、諸鈍の郵便局で道を聞いたらおっちゃんが「自分の車を貸すから」と言ってきて、道も知らんし、ただの観光客に、そんな事を言うなんてびっくり!!今度は、そこで働いていたおばちゃんが「ちょっと待っとき」といってたまたま休みで家にいた息子さんを連れてきて、案内してもらった。観光案内をしてくれたおかげで、無事に徳浜へ行くことができてそのうえ安脚場にまで連れて行ってくれた。
その時の青い海が綺麗で、島が大好きになった。大阪に帰る頃には、すっかり島の人の暖かさに惚れて「島に住みたい」という気持ちになって、大阪に帰った後も、色んな人に島の魅力を語ってた。
翌年のGWにも友人と2人で島に遊び行き、8月にはサーフィンをするいとこを誘って、2週間下見がてら島に遊びに行った。そして、家を探してもらい、9月から加計呂麻島の諸鈍に住み着いた。
そしてそして、不思議な縁から案内をしてくれた息子さんと半年後には結婚。入籍した日にフェリーの中で流れてた番組は「男はつらいよ寅次郎 紅の花」!!島でロケしたその番組でした。何か運命的なものを感じた。
海・自然が綺麗ということもだけど、1番は、移住した理由にも話をした「人の温かさ」!!
都会では、隣の人ですら無関心で挨拶などもしないのに、初対面である私達に、こんなに親切にしてくれるのかと感動した。
諸鈍へ行くと集落のじいちゃん、ばあちゃんが縁もゆかりもない私にまるで自分の子供や孫に言うかのように、必ず「のりちゃん、今日来たんか?今日は泊まり?やっちゃんはきばってるか?(←旦那は頑張ってるか?という意味)」と声をかけてくれる。
大阪から島に住んで、最初の3年ぐらいは、寂しくて泣いた日もあったけれど、島での友達もできて島暮らしに、すっかり慣れてしまった。むしろ島を出て、都会で暮らすほうがキツイのでは・・・?
また、今はネット・テレビなどで、情報がたくさん入るけど、島での情報は口コミが1番!!知りたい事は何でも教えてもらう。
頭で、いろいろ考えるより、まずは行動を!!やっぱり、島に来て島の生活を体験するのが1番。そこから、向いているか向いていないか考えればいい。