南さつま市_神園一俊さん
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大輔さん:私は幼い頃から父の仕事の関係上、大阪や京都など関西を転々とする生活をしていました。私の父は沖縄県宮古島出身で母が鹿児島県姶良市の出身で、幼少時代から両親の故郷(海と山)に時々里帰りしていて、両祖父との思い出が心の中に強く残っていました。
大学を卒業後、大阪で仕事をしながらデザイン・アート系の専門学校に通っていたのですが、そこに文化人類学の先生がいらっしゃって。その先生が宮古島に伝わる「ウヤガン(山籠りをして祈りを捧げる)」という神事の研究をされていたのです。
私はそれまで父の故郷である宮古島には何度も訪れたことがあったのに、こんな文化があったことを知らなくて…とても恥ずかしかったし、同時に違和感を感じました。この事がきっかけとなり、父と一緒にルーツを辿る旅を始めたのですが、それから2.3年後、長女が生まれて間もなく父が他界。父の死と子供の誕生が重なり、その時改めて“自分の役割”というものを考えるようになりました。
自分のルーツである故郷の歴史や文化、営みなどを子供に伝えて行くこと、見てきた景色や思い出を次世代に継承していくことが私の役割なのではないかと…。
私自身が色んな地を転々とする転校生で、“地元”と呼べるものがない幼少時代を過ごしてきました。自分の子供たちにはちゃんと“故郷”を残してあげたい!と、そんな思いから移住を考えるようになりました。
大輔さん:母の故郷である鹿児島には幼い頃から何度も訪れた事があったので、特に不安はありませんでした。
久美子さん:結婚する前から主人からは「いつか移住したい」と聞いていたし、私も私の両親も自然がとても好きで“田舎暮らし”にとても関心が高かったので、特に不安はありませんでした。
大輔さん:霧島市は、天候ひとつにしてもとても過ごしやすい土地。それに加え水も美味しいし、そこから生まれる農産物やお茶・お酒など、全てが美味しい。この町なら体に良いものを子供たちにたくさん食べさせてあげられると思ったし、温泉も近くにあって、『食と健康』という意味では本当に良いところです。ものすごく暮らしやすい場所だと改めて感じています。
久美子さん:移住してくる前から、霧島の印象は特に良かったですね。車で走った時とても気持ち良かったのを今でも覚えています。何より、想像以上に食べ物が美味しい!お肉も魚も驚くほど安くて美味しい!大阪で生活していたら、こんな料理、日常的には出せなかっただろうな〜と思っています。
自治会やPTAなど、地域の公益行事に主体的に参加することですね。
年輪堂がある稼原台地から見える霧島連山がとても好きです。
大輔さん:大阪と霧島市牧園町を行き来しながら、企業や行政のPR支援やブランディングに関わる仕事をしています。移住後、地域活性化を目的に日本茶カフェ「年輪堂」を開店し運営中。
もともと霧島にはお水やお茶、他にもたくさんの“良いもの”があるけれど、それを上手に外に伝えきれていない部分も…。私の仕事を通してもっとたくさんの人に霧島の魅力を伝えていければ良いなと思っています
大輔さん:鹿児島に限らず、これは社会全体に対して望むことではありますが、市街地でも農山漁村部でも、どこにいても豊かに暮らせるように共存共栄する社会を行政民間問わず協力して作っていけたらいいな~と思っています。
大輔さん:地方は常に人材不足。都会のように人で溢れていない分、一人一人に与えられるチャンスがたくさんあります。特に中山間地は子どもにとっても一人の役割が大きく主体性が育まれます。
私の子どもが通う中津川小学校では、一年間単位で移り住み、学校に通いながらさまざまな体験を積むことができる山村留学も行なっています。勇気を出して一歩踏み出せば、切り開けるものがあるのではないでしょうか!
新里さんご夫婦が営むカフェ
里山の魅力を楽しむ日本茶カフェ「年輪堂」
新里さんご夫婦が運営する地域情報サイト
移住家族の霧島ローカル「日々霧島」
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