南さつま市 アーティスト 狩集広洋さん
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出身は大崎町で、小学校から志布志で暮らしはじめました。高校までを鹿児島で過ごして、卒業後は大阪にある美容の専門学校に進学。23歳ぐらいまで美容関係やスノーボードの仕事をしながら、全国を転々としていました。
その後は六本木と天文館で飲食店を開業して、38歳ぐらいまでは東京と鹿児島を行き来するような生活をしていました。元々、東京での永住は考えていなくて、「いつか鹿児島に帰る」っていうのはずっと頭の中にありましたね。
そんな中でコロナ禍になり、うちは飲食店だったので、2ヶ月ぐらい自宅待機が続いたんです。家族で過ごす時間が増えて、妻は東京出身なんですけど「鹿児島でもこんな風に生活できるんだったら移住しても良いよ」って言ってくれて、「じゃあ、行こうか」と。
移住経験がある友人たちが口を揃えて「行ったらどうにかなる」って言っていたので、僕自身も「まあ、どうにかなるか」と思って帰ってきました。
当時は、YouTubeの編集の仕事をしていたので、働く場所は特に関係なかったんですよね。ちょっとした貯金もあったので、移住に対してそんなに不安はなかったです。
はじめは実家がある大崎に住んでいました。最終的に鹿屋に住むか、志布志に住むかで悩んでいて……。両方の地域の人に会ったりしながら、どちらで暮らすか考えている時に、移住・交流支援センター「Esplanade(エスプラネード)」の田川さんとお会いしました。志布志に住みはじめてからは、田川さんのカフェでもちょこちょこ仕事をしていて、今でも時々コーヒーを飲みに行っています。
昔よりも人が減っているから、なんか寂しいなっていうのが一番大きいですね。自分の高校時代を思い出すと、もっと若者が溢れていたし、もっと町に活気があったような記憶があります。
とはいえ、最近は商店街の若い子達がボランティアでゴミ拾いをはじめたり、鹿児島市内から町おこしの専門の方を呼んで話を聞くような機会をつくっていたり。せっかくおもしろい場所があるので、「良い風に変えていきたいね」と皆で話しています。
イメージですけど、最初はちょっとよそ者っていう感覚で見られると思います。僕も関東から嫁さんと一緒に移住して、商売を始めて……となると、ちょっと目立つ存在にはなりやすいですよね。
だから、嫌な目で見られることも時折、あると思います。でも、一生懸命やっていたら、なんだかんだ応援してくれたり、協力してくれる人も現れるので、まずは自分から行動してみることが大切かもしれません。
海が好きですね。僕はビーチより港の海が好きなので、漁船が見えたり、さんふらわあのフェリーが見えたりするのがお気に入りです。
今は、「志布志バーガー」の経営に、動画編集。あとは、デザインのお仕事ですね。飲食店のメニューやロゴ、名刺なんかを作ることもあります。
志布志バーガーは、2021年4月にオープンしました。
志布志に移住してすぐの頃、Esplanadeで仕事をしている時に、近くに飲食用の空きコンテナがある情報を手に入れて、田川さんにオーナーさんを紹介してもらい見に行ったらすごく良くて「ここ使いたいです」と。志布志には大手のハンバーガー屋さんがないこともあり、メニュー開発、開業に必要な準備を急ピッチで整えて、10日後ぐらいにはオープンしましたね。
志布志バーガーの名前の由来は、町の名前を冠に使うことで、違う角度から志布志の名前を知ってほしかったから。今後も志布志バーガーも含めて、もっと志布志の認知度を上げていきたいですね。
僕自身は「なんとかなるか」とあまり調べずに移住しましたが、これから移住する方は事前にいろいろ調べた方が良いかもですね。もらえるはずだった補助金だったり、使える制度が意外とあったりします。
反対に、対象だと思っていた補助金に制限があって使えなかったり、利用する代わりに地元の企業で働く必要があったりするので、そこはよく調べたほうが良いかもしれません。
田舎暮らしはとても良いですけど、期待を抱いて移住するのは、ちょっと違うかな。田舎の人が都会を見て想像するように、都会の人も田舎に対して妄想している部分があるので、そこの温度差に振り回されないようにしてほしいですね。
馬原さんが営む「志布志バーガー」
Instagram @shibushi_burger
志布志市移住・交流支援センター「Esplanade(エスプラネード)」
志布志市の元地域おこし協力隊の田川貴雄さんが運営する移住や婚活支援を行う交流拠点。商店街の中にあった空き店舗を改修し、2020年12月にオープン。地域内外のさまざまな人が足を運びやすいように、カフェやコワーキングスペースが併設されている。