大阪からUターン
住所 | 姶良市加治木町 |
移住した年月 | 2003年3月 |
移住前の住所 | 大阪府泉佐野市 |
家族構成 | 独身 |
移住した理由
京都、大阪を中心に料理人として経験を積み、関西の料亭、割烹で修行し、Uターン前は大阪府のホテルで総料理長をしていた。
母親が病気で倒れたために、看病のためにちょくちょく南九州市の坊津に帰ってきていたが、母親の近くに居てくれとの希望で、最初は一時的にいう気持ちで坊津に帰ってきた。
母親の病気が良くなってきたが、坊津では仕事がやっていけないので、これまでの経験・専門の調理師技術等を活かすために鹿児島市に移住した。
移住してよかったこと
- 鹿児島市に移り、かねてから鹿児島のすばらしい素材を活かし、地域に何とか食で貢献したいという気持ちがあったので、これまでの経験を活かし、「らく楽料理教室」を開講し、食育活動を始めた。
- 一時は、天文館で「おまかせ料理樹楽」を開業したが、食育活動「食で町おこし」への取組む決断し専念することにした。これが、「店を持たない料理人」として、新しい活動分野を切り開くことになった。
- 日本の食分野の原点に立ち返ったら、チャンスに恵まれた。鹿児島の桜島の灰を活かした灰干し魚の開発に成功し、豊富な食を活かしたブランド化につなげられた。
- 又、地域の食文化をどうつなぐかということで、地域おこしの名物料理の開発や、地域の食素材・資源を有効活用した新たな食品加工の取組を支援することで、新たな売れる食品づくりにも貢献出来ている。
- 食育による町づくりを進める中で、県商工会議所・商工会連合会の「エキスパート講師」、県発明協会の知的財産の専門家」、県農業・農村振興協会の「六次産業化プランナー」など、色々な機関から食育の専門家としての称号と依頼を戴き活動を行っている。
- 鹿児島にUターンしてきて、自分の料理人としての技術・知識を「食育活動」を通じて、地域づくりに貢献したいという目標が、今、一歩ずつではあるが、着実に実現してきており、今移住してきて良かったと実感している。
移住を考えている人へのアドバイス等
- 移住先で、何をしようとしているのか、趣味やこれまでの経験を活かそうとするのか、よく考えておくことが大事である。
- 食による地域づくり面でいうと、「よそ者」の方が、オンリーワンを見分けられると思う。
- 売れるものは、そこだけしかないものを探す必要があるが、お客さんの目線になれば、感覚があれば、食材は一杯ある。そういう視点を持った人ならば、鹿児島に移住すれば、一杯可能性がある。